YAMADA TOMOMI WALKING STYLE

Essay エッセイ

Vol.100 私の歩んできた道、そして夢 後編

意外な形で、博覧会のMCとして採用され、マイクを持つ仕事を始めることになりました。当時、私が専属MCとして採用された大手企業は、業界内でも一番厳しいクライアントとして有名でした。また、事務所内でも18歳だった私は最年少で、同世代はひとりもいませんでした。ベテランの先輩方は、一番下っ端の私をとてもかわいがってくださいました。また、一流の講師陣や、マネージャーさんも非常に厳しく、愛のある指導をしてくださったのです。

当時の私は、周囲と比べると、一番太っていましたし、お化粧も下手でした。ただ、最年少の立場に甘えて、目上の方たちの言うことを素直に聞いて、目の前のことを一生懸命頑張るようにしたのです。今までウォーキングや立ち居振る舞い、メイク、マナーなど、さまざまな講師の方たちに学んできましたが、最初の講師の方たちは中でもスパルタで、本当に厳しく育てられました。また、ナレーターや受付、モデルなど、さまざまな立場の違いはあっても、皆横並びで、朝は自分の持ち場をきれいに拭き掃除するところから仕事を始めるのです。当時、厳しく指導していただいたことがあまりに鮮烈すぎて、今でも真っ先に思い出すのは駆け出しの頃にお世話になった方々です。

最初の頃は慣れない仕事で、なかなかうまくいきませんでした。緊張のあまりに現場で笑顔を作れないときは、マネージャーさんに「なぜ笑えないの。あなた、ブスだから帰りなさい!」と言われたほどです。今ならその真意はよくわかるのですが、企業の顔としてイメージアップのために存在する私が、笑顔でいられないのは大問題。その日は大号泣してしまったものの、責任感だけは人一倍強かったため、翌日もめげずに出勤しました。

その後、かなり早い段階で、厳しく指導していただいたことを心から感謝するようになりました。なんせ最も厳しいことで有名なクライアントだったため、どの現場に行っても「間違いない」と重宝されるのです。さらに私としてはごく自然に持ち場や控え室を掃除していることも、性格がいいと評価してくださいます(笑)。しかし、実際は私の性格がいいのではなく、“育ての親”がいいのです。

外見と中身が磨かれ始めた私は、だんだんと他の事務所からもスカウトされるようになり、マイクを持つ仕事だけでなく、モデルの仕事もさせていただくようになりました。基礎がしっかりたたき込まれているおかげで、オーディションにも難なく受かるのです。新しく行った現場で気に入られ、いい人間関係が培われて、また次の仕事の声がかかるという好循環に恵まれ、いつの間にかやりたい仕事ができるようになっていました。「次はあのショーにメインで出てみたい」「等身大のポスターになってみたい」といった目先の夢も叶うようになったのです。やりたいことが実現すると、次に手にしたいことが自然と出てくるものです。その景色を見た人にしか感じることのできない、達成感や充実感が得られるようになりました。

そのうち、フリーランスとしてお仕事をいただくようになり、イベントに出演するだけでなく、適切な人材を派遣したり、イベントのプロデュースも手がけるようになりました。また、モデルたちにウォーキングや立ち居振る舞いを指導する講師の仕事もいただくようになったのです。

大きな夢は持っていなかったのですが、与えられた仕事をひとつずつ丁寧に120%の力でやってきました。自分がいいと思いついたことや、気がついたことは必ずやるようにしたのです。当時の仕事が今の仕事に活きていることは、数多くあります。

マイクを持つ仕事としては、多数の企業のマナー研修のビデオのナレーションを担当したので、さまざまな業種のマナーを知ることができました。また、さまざまな最新の商品を紹介するナレーターを務めるときは、その仕組みや成り立ちを学ぶ研修にも必ず出るようにしていました。仕組みや成り立ちがわかると、物事を順序立てて考えることがとても楽しくなりました。この物事の意味を考えるクセが、のちに非常に役に立ちました。

私が表に出る仕事をやめようと思ったのは、体を壊してしまったのが直接のきっかけですが、自分の体調をなんとか改善したいと思って始めた、体の組織や仕組みの勉強が面白くなったこともひとつでした。学んでいくうちに、自分の体のゆがみや不調の原因が手に取るようにわかるようになったのです。また、体の組織や構造から、ウォーキングや所作を考えると、納得できることや、解決できることがたくさんありました。すぐにモデルたちへのウォーキングや立ち居振る舞いの指導に取り入れたところ、よりよい成果が表れるようになったのです。

私はこれまでの経験から“育ての親”が非常に大切なことは、身をもって実感してきました。教わったことをしっかり理解したうえで、柔軟に受け入れて自分のものにしていったのです。

よく耳にする、とても残念な現実は、「新入社員のマナー研修を受けたことはあるが、内容も講師もまったく覚えていない」というものです。

今の私の夢は、生徒さんの心に残る先生になることです。マナーひとつにしても、なぜそうするのか意味をきちんと教えて、「山田に教わったな」と思い出していただけるような講師になりたいと考えています。そして、歳を重ねるにつれ、生徒さんと一緒に外を歩いたり、ボディを美しく見せるファッションや、靴選びを指導する、お散歩チケット制に移行したいですね。80代になったら、ゆくゆくはボランティアで生徒さんみんなと一緒に歩いたり、茶飲み友達になれるといいなと願っています。