すっかり寒くなり、今年もあと少しだなあと思わされる時期。やれ大掃除だ年賀状だと気ぜわしい方も多いのではないでしょうか(ちなみに、私のレッスンにいらしている生徒さんたちは普段から“こまめに断捨離”になれているので、わざわざ大掃除をする必要はないケースがほとんですが、その話はまた別の機会に)。今回は、そんな「断捨離の落とし穴」についてです。
私はかねてから、“8割の法則”を唱え続けています。「食事をいただくのも腹六〜八分、クローゼットやバッグの中身も八分に」と決めるのです。そうすると風通しがよくなりますし、中身も把握できてすっきりするのですから一石二鳥。レッスンにいらした生徒さんのバッグをチェックして「今日使わないものは、置いてきてしまいなさい」なんて言うこともあります。こうやってバッグの中身までこまめに入れ替えている人は、大掃除なんて行わずとも大丈夫。こまめに不要なものを捨てるクセがつき、自ずと断捨離上手になれるのです。私も自分自身に、「昔の写真を取り出して見るときは、10枚のうち1枚は捨てる」とか「クローゼットをあけたら、どれか1枚不要なものを見つける」なんてルールを課していたときもあります。
でも、そんな私だからといって「なんでも捨てている」と思われてしまうのは心外。むしろ、断捨離は「大切なもの」を浮き彫りにするための行為だと、最近つくづく思うのです。
たとえば私が「実家の飾り棚に、キャンディキャンディの“幸せのリング”を飾っている」なんて話したら、このエッセイを読んでくださっている方は仰天されるかもしれません(笑)。でも、本当の話。とっておきのマノロのビジューシューズよりもいい位置に、ディスプレイされているんです。
これは私がまだ幼い少女だったときに、母が「友美、これを持っていたら、いいことがあるわよ」とプレゼントしてくれたもの。いってみればステンレスの、アクセサリーとしての価値はない輪っかですが、それを見るたびに嬉しかった子供の頃の自分を思い出します。もらったのはクリスマスでも誕生日でもない、普通の日。母が長時間出かけるからと叔母と留守番になったとき、寂しくないようにとくれたもの。大人になるにつれますます母の細やかな優しさが感じられるようになり捨てられなくなった、私にとってはそれはあたたかいリングなのです。
自分に自信がなかった頃の写真やら、気に入って買ったはずが今は清潔感を感じられない服などは、どんどん断捨離することができました。捨てたことにまったく後悔はありません。でも、そうやって“いらないもの”を削ぎ落していく中ではっきりわかったのは、自分のアイデンティティの核をなすものは、捨てられないということ。今の自分を作ってくれた大切なものまで断捨離してしまうと、まるで自分の心まで捨ててしまったように感じるのです。そして「捨てられない大切なもの」がはっきりわかることにこそ、断捨離の意義があるのだ、と思うようになりました。
断捨離という言葉がすっかり定着したいま、「捨てることはいいことだ」というムードになっています。でも、やみくもになんでも捨てればいいわけではありません。人間だもの、迷うことはあっていいんです。大切な思い出、お世話になった方とのご縁まで捨ててしまっては、自分をなくしてしまいます。小さなリングを眺めながら、そんなことを考えました。
これは、ダイエットにたとえるとわかりやすいかもしれません。ムダな脂肪はどんどん捨てさっていいのですが、行き過ぎは禁物ですよね。ダイエットに励むあまりに、女性らしいまろやかなカーブや肌のツヤまでなくしてしまっては台無しです。それに、お仕事やプライベートでの大切なお付き合いもありますよね。けれど残念なことに、ダイエットにせよ断捨離にせよ、一度のめりこむとやめられない麻薬的な魅力があるんです。いちど痩せ始めるとものを食べるのが怖くなったり、バンバン断捨離しているうちに止まらなくなってしまったり。「痩せていく自分」「捨てている自分」に酔いしれてしまって、本当の自分を見失ってしまう。そんな心ないダイエットや断捨離ならば、はっきりいってやらないほうがマシです。脂肪や余分なものを捨てているうちはいいのですが、気づいたら大切な思い出やご縁まで失ってしまわないよう、どうぞご注意を。
大掃除は大歓迎ですが、ときどき立ち止まってください。迷ったら保留にしてもいい。持つことへの執着も、捨てることへの耽溺も、どちらも過剰になってしまってはだめ。どちらにせよ、過剰な欲は本当に恐ろしいもの。「たくさん持っている」「こんなに減った」という“数字”は、私たちを振り回します。大切なのは、バランスです。何のためのダイエットなのか、何のための断捨離なのか、あなたの心に問いかけること。あなたが捨てられない、大切なものは何ですか? そして、捨ててはいけないものは何ですか?